『うちのばあいは、』が,短くいうと『うちばや』になる一つの理由

『うちのばあいは、』が『うちばや』になるのは?

なんだか、SEOを意識したようなタイトルになっていますが、さて、ではなんで『うちのばあいは、』が『うちばや』と呼ばれているのでしょうか。

今回の記事はその考察についてのお話しです。

このブログの名前は、『うちのばあいは、』ですが、家族のなかでは短く『うちばや』と呼んでいます。

URLも “uchibaya.com” で、”うちばや.com” です。
関西人はよくなんでも短縮していいますよね。

家族の会話の中で、「うちの場合はやねぇ、」としゃべり出すとそれはこのブログの『うちのばあいは、』なのか、うちばや家の家庭内のことをいう「うちの場合は、」なのか、または竹村健一さんのものまねをしているのか、わからなくなるからなのですね。

『うちのばあいは、』なので正確には『うちばあ』ではないか、と思われる方もおられるかもしれませんが、うちには89歳のばさまがおりまして、『うちばあ』とみんなで言っておりますと、ばさまがわたしのことをうちばあと呼んでおるな、思われてしまいかねないでしょうから『うちばや』と言っています。

というのは、うそです。

話しは突然にかわりますが、町田康さんは、いまは作家として有名ですが、ぼくたちの世代ではパンクバンドの「INU」のボーカルで、町田町蔵という名前のミュージシャンというほうがなじみがあるかもしれません。

その町田康さんは、大阪の堺市の出身だそうで、講演会で話されるときも関西弁が会話のなかにでてきます。

ことしのお正月のラジヲで、その町田康さんのNHKホールでの講演会を聴きました。

お話しの内容は太宰治についての講演で、町田康さんの太宰治への同じ作家としての想いが、一般的ないままでの太宰論ではなくて、町田康さんの言葉で語られていて深く納得した内容でした。

その講演のなかで、太宰治について語られているときに、関西弁で「わろてまいますよねぇ」と言われたのです。
「わろてまいますよねぇ」は、「笑ってしまいますよねぇ」のことだというはことはおわかりになりますよね。

そこでふとその講演会の放送を聴きながら感じたのですが、このときの「わろてまいますよねぇ」と「笑ってしまいますよねぇ」は、たぶんまったくのイコールではないのではないかと。

ブレた写真の残像なように微妙に重ならない部分が「わろてまいますよねぇ」と「笑ってしまいますよねぇ」の境界線としてあるのではないでしょうか、ということですね。

講演が行われたのが東京だったのですが、「わろてまいますよねぇ」という声をそのラジヲで聴いて、そう感じたのでした。

こんなしょうもないことを延々と書いているなんて「わろてまいますよねぇ」。

またまた話しは突然にかわりますが、井上ひさしさんの小説『吉里吉里人』は、その本の中で「吉里吉里人」に(ちりちりづん)とふりがなが振ってあります。

この本は文章に結構な数のふりがなのルビが振ってあるのですが、例えば最初の方のあるページで、曖昧(あいまい)とか有耶無耶(うやむや)なんかにもルビが振ってあります。

少し難しいとはいえ読めない漢字ではないですよね。

しかしそのまま読み進んでいくと、こんな文章に出くわします。
「……出入国管理令第三条、外国人は有効な旅券、又は乗員手帳ば所持ねば、本邦さ入っちゃなんねえど」

この文章に振ってあるルビは、以下の通りです。
「……しゅづぬうごくかんりれえでえさんじょ、げえこくづんはゆうこなりょげん、まんだはじょうえんてんじょばもたねば、ほんぽさへえっちゃなんねえど」

これは、吉里吉里国の国語である吉里吉里語での読み方なのでありますね。
独立された国である日本からしますと東北弁という方言なのですが、独立した国では吉里吉里語という国語となり、その国での読み方なのです。

この仕掛けのために、話しの序盤からルビが多用されていたとしたら、見事な演出だと思いませんか。

またまたまた話しは突然にかわりますが、テッド・チャンのSF小説『あなたの人生の物語』を映画化した『メッセージ(原題:Arrival)』のなかで、言語学者である主人公のルイーズが、言語について、サピア=ウォーフの仮説をいう場面がありましたよね。

「思考は話す言語で形成される」

ルイーズが、地球に突如としてあらわれた宇宙人の言語を翻訳するように政府に依頼され、言語学者として彼らの言語を理解したときに……、というとても興味深いお話しでした。

「思考は話す言語で形成される」

関西に生まれる、もしくは長く生活して、関西弁で考え、物を言うことも、そういうことなんでしょうかね、もしかして。

いわゆる標準語に対しての関西弁という位置づけではなく、関西語という言語、としてみるとまたその言葉のもつ意味するところが、微妙に変わってくるようなところが無きにしも非ずではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

と、上の文章ような冗長な書きかたを関西では、「もっちゃりした」なんて言ったりしたり、しなかったりします。

さて、この記事は、ブログの名前である「『うちのばあいは、』が、『うちばや』になるひとつの理由」について、の考察でしたよね。

手元にある電子辞書の広辞苑(第五版)には、
『ば-やい【場合】‥ヤヒ』とは、バアイの訛。と、書いてあります。

そうなんですね、いまどきの人はあまり「場合」を「ばやい」とは言わないと思いますが、わたしが子供ころに育ったまわりの大人たちは「ばやい」と言っていたように思います。

試しに、「『うちばあ』のことについてやけどなぁ、」と言って会話をしてみると、『うちばあ(ぁー)』のことやけどなぁ、」となって(ぁー)と語尾が下がって鼻から抜けた発音になりませんか。

なりませんか?

おかしいなぁ、もしかしてうちの場合、だけなのかなぁ。

たぶん、多くの関西の人に『うちばあ』を読んでもらうと『うちばあ(ぁー)』と、語尾が下がった発音をされるのじゃないでしょうか。 それではちょおっと、締まらないではないか、ということで、うちばや家では『うちばあ』ではなく、『うちばや』と呼んでおります。

さてさて、最後までお付き合いいただきありがとうございます。
ですが、残念なことにこの記事にはオチもなにもありません。
申し訳ありません。

ということで、またお会いしましょう。
ではでは。

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Geee3
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うちばや家のおとうさんです。ガジェット好きの新しいもん好き。新しいwebサービスも取りあえず試してみたい人。
部屋には捨てられないものと本があふれ、部屋から溢れたものはあちこちへ侵食して、家族からひんしゅくを買っています。
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