■週刊うちばや 第4刊 いまおすすめの本編

mamekariのおすすめの本は、お菓子の本と野菜料理の本です。

mamekariのおすすめの本は、お菓子の本と野菜料理の本です。

お菓子の本は、沢山持っています。

中でも若山曜子さん著『わたしのフランス菓子A to Z』はお菓子にまつわるエッセーです。

フランスで修行されていた時のお話などかかれています。

若山曜子さんの本が好きで他のレシピ本も持っています。最近は何々をつかわない○○という本が沢山でてますが、この方の本は

正統派?です。お砂糖もバターもしっかりつかっています。

Amazon 若山 曜子の作品

黒川愉子さん著『ちっちゃな焼き菓子とケーキの本』を今回ご紹介します。

お菓子の本を買う時、写真やレイアウトの綺麗な本を選びます。

すこしレトロな色使いのものが好きです。黒川さんのこのちっちゃな焼き菓子というタイトルからして乙女な感じです。

他にも修道女のお菓子の本とか持っているのですが、とにかく、レトロでヨーロッパな雰囲気に憧れます。

お菓子のレシピを知りたいというよりはその方の世界観を参考にしたいと思って買っているのだと思います。

手作りのお菓子とティータイムなど、ゆったりとした生活が憧れです。

定年したら、ゆとりを持って生活を楽しみたいと夢見ますね。

次に、野菜料理の本については、佐藤雅子さん著『ヨーガン レールの社員食堂 野菜でつくる一皿料理』です。

普段の野菜で作れるような、懐かしいようなおいしそうな野菜料理が紹介されています。

健康にも心にもしみわたるようなレシピです。

次は オズボーン未奈子さん緒『オズボーンさん家のベジタブル食堂』です。

野菜つかっていますが、こちらはハーブやスパイスをつかった少し異国なテイストです。

どちらも、野菜中心でおいしそうです。

我が家の料理はここまで手がかかってないけれど、本来は毎日こうやって落ち着いて料理ができるようになりたいと思います。

とにかく健康とおいしさを兼ね備えた本です。

私の持っている本はとにかく、実用書が多いです。(料理、雑貨、暮らし、手芸、インテリア)

それ以外は精神世界の本が多い。ノンリアリティ系、バシャール系、奇跡のコース系、禅系、覚醒系。

だから、家族にはあまりおすすめはしておりません。独学マメカリワールドです。

とにかく、実社会に疲れている面があり、逃避と癒しを求めているのかもしれません。

こんにちは、Ataliです!僕が紹介するのは「ドラクエ7の歩き方」です

僕は最近読書をする事がめっきり減ってしまっているのですが、
幼少期から学生時代まで共通して読み込んでいた本の種類に「ゲーム攻略本」があります。
特に自分が読んでいたころの「ゲーム攻略本」の印象として、小話が面白いとか小コラムが面白いとか筆者の主観話が面白いって印象を受けていました。今こういったサイト内のコンテンツを作るうえでも、当時の「ゲーム攻略本」みたいなゲーム愛を表に出せるように頑張っていますが、難しいものですね。
さて、今回ご紹介するのは「ドラクエ7の歩き方」になる訳ですが、
この本は所謂普通のゲーム攻略本を逸脱するレベルで文字通り「ドラクエ7を歩きつくす」コンセプトになっております。
世界の人口を調べてみたり、世界一周に何歩かかるのか調べてみたり、各都市の文化を考察してみたり…攻略には全く関係のないコラムも多々ありつつ、一部本当に役に立つ検証記事も含まれてもいて(本来逆の配分が正解ですがw)とにかく読んでいて笑えるような面白い構成で書かれています。他のドラクエタイトルでも同じコンセプトの本が出版されているようですが、特段「7」の内容は濃かったようで、なんと取材時間は5000時間を超えるとか…考えられませんね。
世の攻略サイトや攻略本に遊びが少なくった印象(あくまで主観)がありますが、
この本みたいに作品愛に溢れつつ読者にオリジナルな情報を届けることが出来たらなぁと考えながら今日も記事の案を練っていこうと思います。

『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』。ゲームレビューの本。ただし、すべて架空。

うちばや及びBoysGameDiaryを読んでいただいているゲーマーの皆さんにお尋ねしますが、どのくらいのゲームレビューサイトを巡っていますか?
有名サイトを1-2か所巡るくらい?おそらく一般的でしょう。
ちょっと増やして5-6か所?私と同じくらいですね。
個人サイトも含めて十数か所?かなりのゲーム通ですね。
BoysGameDiaryも読んでる?それはとてもありがたい事ですね、なんてコアなゲーマーなんでしょう。

そんなゲーマーの皆さんにさらにお尋ねします。
『2022年に発売されたレトロゲーム』のレビューは読んだことがありますか?

『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』は、『未来のレトロゲーム』という架空の存在をレビューする、とても不思議で面白いコンセプトのSF小説です。
マニアなら知ってるくらいのレトロゲームを取り扱うレビューサイトのお話なのですが、その舞台はなんと2115年。
2022年発売どころか、2073年発売のゲームですらレトロと扱われる未来の世界です。
そしてこのサイトで扱うゲームは、そのどれもが例外なく何らかの理由で低評価とされているもので、人によっては『クソゲー』と呼ぶようなものも含まれています。

もちろんシンプルにSFものとして楽しむことが出来るくらい面白いのですが、私が一番好きなのは著者自身がそれらをクソゲーとは呼ばずに低評価ゲームと呼んでいるという部分。
たとえ世間からどれだけボロクソに叩かれたゲームでも、実際にそのゲームを遊んだ人にしかわからない良い所を、わかりやすく言えば『エモい』書き方で表現し、ただのクソゲーではないという事を伝えています。
たとえ99%の人間がそのゲームを嫌っていても、残りの1%はそのゲームの事を愛しているぞという考え方は、私のゲーム観、ひいては人生観にまで大きな影響を及ぼしました。
それまでは遊んでみて合わなかったゲームや世間的に評判が悪いゲームに対して割と簡単にクソゲーだのなんだのと言って笑っていましたが、いつしかゲームの悪口を言うようなことが憚られるようになり、そのうちにアニメや漫画などの創作物全てへのリスペクトを欠かさないようになりました。

もちろん今でも合わない作品というのは必ず存在しますが、それでもクソだと言うようなことは無くなりました。
私から見たら合わない部分があっても、他の人が全て同じという事はありませんし、その逆もまたしかり。
このリスペクト精神を胸に強く刻みながら、毎日ゲームの事を語り続けています。

ちょっと原稿が遅くなってすみません。汽車が遅れてたもので…。

一般的には読書イコール知識を蓄えるというとらえ方をされるので、読んだ本の冊数イコール知識の量という認識をされるわけですね。

これまで付き合ってきた恋人の数だとかを自慢するような感覚というのは、大概の人はあまりいい顔をしないと思うのですが、これが読書となると話しは変わってきたりします。

世間ではたくさんの速読法が紹介されていて、それを読むためにも速読法が必要になったりします。
まぁ、ビデオを2倍速で早送りで見ても内容はわかりますけど、ストーリーは往々にして物語の間(ま)に意味があったりしませんか。

話しがそれました、付き合った恋人の数を自慢したり、本を月に何冊読んだ、年に100冊読んだという数の多さだけを自慢するというのはちょっと相手に失礼な話しではないかとぼくなんかはおもってしまうわけです。
ただし、これはぼくなんかの凡人が本を読むということに対して持っている感想です。

小林秀雄が『読書について』で、読書に対してこんな文章を書いています。

「濫読の害という事が言われるが、こんなに本の出る世の中で、濫読しないのは低脳児であろう。濫読による浅薄な知識の堆積というものは、濫読したいという向う見ずな欲望に燃えている限り、人に害を与える様な力はない。濫読欲も失って了(しま)った人が、濫読の害など云々するのもおかしな事だ。それに、僕の経験によると、本が多過ぎて困るとこぼす学生は、大概本を中途で止める癖がある。濫読さえしていない。」

(『読書について (中央公論新社)』(小林秀雄 著)より)

小林秀雄が言うとまたその意味がちがってくると思うのは、その残した業績から想像する知識量というものがあるからですが。
この文章は昭和14年4月「文藝春秋」初出ということなので、いまとはまた時代の背景が違いますが、1939年の当時から現代にいたるまで本というものは巷に溢れているということがわかります。

僕には同じ本を繰り返して読んでいたある時期がありました。

そのときは村上春樹の『やがて哀しき外国語』というエッセイを、読み終わるとまた最初から読むという感じで3年ちょっとくらい読んでいたのでした。

なのでこの時期の読書は、仕事関係の資料書をのぞけば年に1冊だけということになります。
読まれた方はわかるかと思いますが、村上春樹の小説のように特別な感情を誘うような内容ではなく、アメリカのプリンストンに住んでいた頃の日常を綴ったごく普通のエッセイです。

この時期は、個人事業主として仕事をしながら深夜から早朝までは運送会社で荷物の配送のアルバイトをしていてかなり厳しい日常を送っており、神経内科にも通って個人的にはけっこう厳しい時期を過ごしていたのでした。

文庫本のあとがきに

「……せっかく今度はアメリカという社会に一応「属して」生活しているのだから、何か新鮮なもの、目新しいものにぱっととびついてものを書くだけではなく、少し引いたところから時間をかけていろんなことを考えてみたかったのだ。写真で言えば、標準レンズだけを使って、普通の距離からごく当たり前のものを写してみたかった。」

(『やがて哀しき外国語 (講談社文庫)』(村上春樹 著)より)

とあります。

たぶん、その普通の距離のごく当たり前の写っているものが、そのときに繰り返し読んでいた理由でありたぶん救われていたのだと、いまにして思います。

なにかしら引っかかる本があれば、読んだ冊数などは気にせずに繰り返し読めば、また読んだ数よりも得られるものが多い場合もあると思うのでありました。

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投稿者プロフィール

UchibayaFamily
UchibayaFamily
うちばや家のみんなが参加する、やや週刊 うち流行というコーナー。
各刊、4人の趣味嗜好を炙り出します。
あらためて、あんたそうやったーんと発見があれば面白いとおもうのだにゃ。(背後霊猫さん)
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