■週刊うちばや 第65刊 お気に入りの喫茶店は? 編

こんにちはAtaliです。
第65回になる週刊うちばや、今回のテーマは「お気に入りの喫茶店は? 編」です。

◆喫茶店・・・英國屋。
正直こだわりは余りなく・・・、むしろ有名チェーンとか一々緊張する。
オレンジジュースが好きです。もうタバコは辞めたので増々いかないだろうなー。

■ボリュームすごい

コメダ珈琲だいすき。

ちょっとお値段はするけど、すごいボリューム出てきますよねあそこ。
こないだ昼飯にカツサンド頼んだんですけど、まさかとんかつ一枚まるまる挟んだサンドが出てくるとは思いませんでしたよびびった。
ドリンクはだいたい炭酸。コーラ化メロンソーダ。喫茶店補正がかかるのでメロンソーダのほうが美味しく感じる!

お気に入りの喫茶店 昔の思い出になった

■京都 コニーアイランド

1982年頃京都で暮らしていた。一人でぶらぶら京都河原町を散策。

ふらっと入ってみた喫茶店が『コニーアイランド』だった。

たまたまかお客さんは殆どというか無人だったぐらいすいていた。

物凄くレトロな大正ロマンか昭和レトロ風の喫茶店だった。

店内は薄暗くテーブルも椅子もレトロだった。昔の事で記憶はおぼろげだが

奥の方が段々に高くなっていて、奥の席に座った。

おばあさんとおじいさんが細々と営業されているようだった。

本当にレトロ、音楽もかかっていないし、ちょっと文豪の幽霊でも

でてきそうな雰囲気だったが、後から聞くとやはり文豪などが

足繁く通った有名な喫茶店だった。

何度か訪れたが、1980年中ごろに火事になって、お店はなくなったようだ。

まだ、インターネットもない時代だったので、コニーアイランドで検索しても、
一枚も写真にはでてこない。

いまだったら、Instagramなどでバンバン紹介されそうなお店だった。

幻の喫茶店だ。

人もまばらだったので私の年代ぐらい迄でそれ以降の人で知っている人は少ないだろうな…。

記憶の中にちょっと大人の真似をしたかった自分の姿と一緒にノスタルジーを感じる。

■今もあるのだろうか、ロック喫茶『治外法権』

これも京都 場所は忘れたけど京都ブルーノートのお店の奥にあったロック喫茶。

ハードロックだぜ。

高校生の時、友達とよく通った。

お店の人が髪の毛の長い男性でその人目当てでよく行った。

よく考えると高校生でよくあんな薄暗い狂気の音量喫茶に通っていたものだ。

さらによくよく考えてみると高校生があの場所にいるのは目立つのではないか?

周りはみんなおっさんに見えた。ただ、ハードロックだけに皆さん硬派だったのかもしれない。

ハードロックが何故好きだったのかよくわからぬままである。

大人の真似事をしていたのだ。もったいない青春時代だ。

THIN LIZZY のLPをかってよく聞いていた。これまた髪の長いスコット ゴーハムのファンだった。

今 考えるとどんな趣味や。気持ちわるい。

その当時はかっこいいと思っていた。

背伸びをしてハードロック喫茶になど通い、よく補導されなかったものだ。

これは自慢だが、昔『ONGAKU SENKA 音楽専科』というロック雑誌があって、

そちらに投稿をして採用された事がある。

大学受験で東京に3泊4日した時 夜はロックコンサートやロック喫茶など

はしごして遊んだ。その時の事を文章にして投稿したら採用された。

何しとんの???親のお金で…。ほんと悪のmamekariだった。

■近頃 はすっかり大人なので落ち着いた。

天神橋筋商店街 扇町に近い所にある『西洋茶館』が懐かしい。

最近はあまり行かないが10年ほど前にケーキがおいしそうだったので

入ってみたら。フルーツロールケーキがおいしかった。

雰囲気もアンティックなヨーロッパ調で女史が好みそうなお店だ。

ちょっとレトロな雰囲気もあります。一度行ってみてください。

若いころに通った喫茶店たち、でしょうか。

JAZZをよく聞いていたのでそういう音楽が聞ける店に通っていました。

永島慎二という漫画家が好きで、『黄色い涙』というシリーズに出てくる主人公たちはお金がないのでシケモクを吸い、JAZZ喫茶で人生を語っていて、それは僕たちよりも少し上の世代のお話しで、神戸の端っこの町に住んでいる少年には憧れるものがありました。
そこで過ごすことがなにか特別なことをしているような、そんな気持ちになっていたように思います。

16-20歳の頃
小学校、中学校、専門学校時代は神戸や元町、三ノ宮あたりをウロウロしてましたね。

神戸のJR垂水駅の東側に垂水商店街があって、JRの高架を抜けた海側すぐの雑居ビルの上の階に「ダス・ゲマイネ」というJAZZ喫茶がありました。
まぁ、昔の垂水界隈を知る人はなんでそんなところにJAZZ喫茶が、と思うかもしれません。
たぶん30代くらいのお兄さんがいつもいてその人がきっとマスターだったのでしょう。

この頃ぼくも太宰治を読みだしたころで、おそらくは太宰の小説の題名からいただいたのかもしれない「ダス・ゲマイネ」という名前に惹かれて通ってました。

20-24歳の頃
就職して塚口に住むようになり、武庫之荘に勤め先があったので、西宮北口の「Duo」に時々寄り道してました。ここはスピーカーにJBL Paragon (パラゴン) が置いてあり、内装もコンクリートの打ちっ放しのような感じだった記憶がありモダンな作りだった印象があります。
このころは梅田にも大阪駅前ビルの地下にOPEN DOORというJAZZ喫茶があって、梅田の大毎地下なんかで映画を観た帰りに寄っていました。

25-30歳の頃
谷町に仕事場が移って知ってる人は知っている伽奈泥庵 (カナディアン) がすぐ近くにありました。
階段を降りていくと土間にテーブルが置いてあり、裏は墓地があるというロケーションでチャイをいただいたのでした。

30歳以降は結婚して仕事も忙しくなってきたこともあり、自然とそんなお店から足が遠のいて行ったのでした。

垂水といえば、当時は筒井康隆が住んでいて垂水商店街の文進堂書店には筒井康隆の新刊が出るとサイン本が平積みで置かれていたそうです。
残念ながらぼくはここではサイン本は見なかったですが、ここで筒井康隆の本をよく買いました。
なにせ文庫本から単行本まで品揃えが豊富で三ノ宮の大型書店にない本でも置いていたような記憶がありますね。

いまはスターバックスにはよく行きますし、喫茶店で本を読んだりするのが好きなのでよくいく方だとは思いますが、若い頃に通ったような特別な場所ではなくなってしまいました。

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UchibayaFamily
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うちばや家のみんなが参加する、やや週刊 うち流行というコーナー。
各刊、4人の趣味嗜好を炙り出します。
あらためて、あんたそうやったーんと発見があれば面白いとおもうのだにゃ。(背後霊猫さん)
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